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名古屋地方裁判所 昭和53年(ワ)1385号 判決 1980年9月26日

原告

境修

右訴訟代理人

加藤良夫

外一名

被告

小嶋病院こと

小嶋洋一

右訴訟代理人

後藤昭樹

外二名

主文

一  被告は原告に対し、金六二四万一、六四三円及びそのうち金五六四万一、六四三円に対する昭和五二年一〇月一〇日から支払ずみまでの年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の、その三を被告の負担とする。

四  この判決の一項は、仮に執行することができる。

事実

第一  (当事者の申立)

一  原告

1  被告は原告に対し、金八八二万六三〇一円及び内金八〇二万六、三〇一円に対する昭和四八年四月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  (当事者の主張)

一  原告の請求原因

<中略>

3 (脱臼及びこれに対する治療)

(一)  脱臼とは、関節と関節窩とが正常の接触状態でなくなつた状態であるから、骨頭を正常位に整復することがまず第一の治療である。原告が負つた肩鎖関節脱臼の場合は、上肢と肩甲骨を押し上げ、鎖骨外側端を押し下げると容易に整復できるが、再脱臼も容易に起こるので、何らかの療法により一定期間整復位を固定しておかなければならない。

(二)  整復位を固定する第一の療法は、ロバート・ジョーンズの絆創膏包帯固定法であり、患者の前腕を包帯で首につり、絆創膏を肩の後面から前面を通り、肘関節の下縁から上腕後面に上昇して鎖骨外側端を通り、前胸部に貼付するなどの方法をもつて整復、固定する右の保存的固定法で好ましい成績をあげえないときは、

金属線で肩峰と鎖骨端を締結する縫合法

鋼線による鋼線固定法

スクリューで烏口突起と鎖骨を固定する方法

など、手術的に固定する療法もある。<以下、事実省略>

理由

一(争いのない診療経過)

(1)被告が肩書住所地において小嶋病院を開設する医師であること、(2)昭和四八年四月二日、原告が友人佐藤由春の運転する自動二輪車の後部座席に同乗して走行中、右二輪車がカーブ付近で転倒したため傷害を負い、直ちに救急車で運ばれ、右小嶋病院が救急指定病院として原告を受入れたこと、(3)同病院で最初に原告の診療を担当した被告が、「頭部挫創、右足関節擦過挫傷、右前腕擦過挫傷及び右肩挫傷」と診断し、原告はその場で入院を指示された同年四月一二日まで一一日間入院し、その後同年五月四日まで通院(実通院日数一二日)したこと、(4)右入通院中、原告は被告及び同病院勤務の井関修、小嶋俊二医師から注射・湿布・マッサージ(証人小嶋俊二の証言によると、電気マッサージでなく、低周波マッサージと認められる。)を中心として治療を受けたこと、以上の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二(医療過誤の存否)

(一)  <証拠>によると、原告は昭和五一年一一月五日頃、長崎大学医学部附属病院整形外科において、伊藤信之医師に対し右肩部の異常を訴えて診察を求めたところ、レントゲン検査の結果右肩関節に変位(脱臼)があり、その変位はその時点において整復がかなり難しいものであるとの診断を受けたこと、原告は、その後昭和五二年一〇月一〇日頃、大阪府吹田市内の菅沼外科医院において自動車損害賠償責任保険に基づく後遺障害の診断を求めたところ、右肩鎖関節脱臼(鎖骨上方脱臼)による変形があり、その肩関節運動時に疼痛があつて、重量物をになうことが不可能であるとの診断結果を得、右後遺障害(右昭和五二年一〇月一〇日症状固定)の診断書に基づき、昭和五三年一月三〇日頃、前示昭和四八年四月二日の交通事故の保険金として同保険後遺障害等級一二級に相当する金五二万円(自動車損害賠償保障法施行令昭和四八年一二月一日改正前の適用)の給付を受けたことを認めることができ、この認定を覆すに足る証拠はない。

(二)  しかして、

(1)  <証拠>によれば、原告は小嶋病院での診療過程において入院直後の昭和四八年四月三日に右肩の自発痛を訴え、通院中の同月一三日、一六日にも依然として右肩の痛みを訴えていた旨の記載があること、

(2)  <証拠>によると、原告は、通院の不便もあつて、右肩部の疼痛が残つたまま右小嶋病院への通院をやめ、間もなく同年五月八日から近在の竹井医院(内科、小児科)に通院し、右疼痛のための注射治療を受けていたこと、

(3)  原告本人尋問の結果によれば、原告の受傷の原因となつた交通事故は、自動二輪車の後部座席に同乗していたそれがカーブを曲りきれずに転倒し、路上のコンクリートでいずれも右側の頭部、肩、手足を打つたというのであり、証人小嶋俊二(小嶋病院勤務の整形外科医)も、前記長崎大学のレントゲン写真(特に甲第七号証)に写つている右肩鎖関節脱臼は陳旧性のものであり、右交通事故の態様からしてこの脱臼が起きることは不思議でないと述べていること(なお、右証人及び被告本人の各供述によると、右レントゲン写真に写つている原告の右肩鎖関節脱臼は、転位約0.5ないし一センチメートルにして肩鎖関節捻挫として中等度(Ⅱ度)の症状のものであること)、

以上の各事実が認められ、この認定を動かす証拠はない。

(三)  原告につき発見確認された前記(一)の右肩鎖関節脱臼の疾患を、右(二)において認定した小嶋病院及び竹井医院受診中における原告の右肩疼痛の情況、原告の交通事故の態様と受傷の部位等とも併わせ総合勘案すると、原告の前示右肩鎖関節脱臼の疾患は、昭和四八年四月二日の前記交通事故によつて発生していたのに、同日の被告の内診、レントゲン検査等による初診の診断において看過され、その後の同病院入通中における被告及び井関修、小嶋俊二医師らの回診、診察においても発見されないままに終つたものと推認するのが相当である。

(四)  もつとも、前示認定の経過から明らかなように、長崎大学医学部のレントゲン写真(甲第七ないし九号証)で原告の右肩鎖関節脱臼が確認されたのは、小嶋病院での診療後実に三年六カ月後のことになるが、この間原告において別に右疾患の原因になるような事故に遭つたことを疑うべき格別の事情も窺われない以上、右認定はやむをえないというべきである。

被告及び証人小嶋俊二は、肩鎖関節脱臼は専門医でなくても容易に発見できる症状であり、被告及び井関修医師(ともに外科)と小嶋俊二医師(整形外科)の三名がこれを見過ごすはずはないし、小嶋病院で原告を初診したときのレントゲン撮影等による診断においても、そのような脱臼を疑わせる外形及び写真上の異常は全くなく(同病院の外来、入院用のカテル<乙第六、七号証>にも「X線異常なし」との記載がある。)、その後の入通院期間中も原告自身からそれを疑わせるような右肩にひどい痛みを訴えるごときことはなかつた旨それぞれ供述しているのであるが、右弁解の裏付となるべき小嶋病院のレントゲン写真はすでに存在せず、結局右各供述は、それに副う部分の前出乙第六、七号証中の記載とともに、前叙(一)ないし(三)の関係証拠に対比して採用することができない。

三(被告の責任)

被告が、昭和四八年四月二日、原告との間で、前記交通事故により受傷した疾患のすべてを治療することを内容とする準委任契約を締結したこと、右契約により医師たる被告が原告の受傷の部位、内容等を精査し、これに対応する最善の治療措置を講ずるべき給付義務を負つたことは、いずれも当事者間に争いがなく、また、肩鎖関節脱臼の症状とこれに対する治療方法が請求原因3項(一)、(二)記載のとおりであることも当事者間に争いがない。

しかして、被告は、前説示のとおり、昭和四八年四月二日から同年五月四日までの入通院期間中における原告の診療において、当時発生していた原告の右肩鎖関節脱臼の疾患を看過し、これに対する治療方法としての整復の医療措置を何ら講じなかつたのであるから、前示頭部挫創等を含めた原告の受傷、疾患すべてに対して完全な診療をなすべき給付義務の履行の一部を怠つたものとして、不完全履行による債務不履行の責を免れないものというべきである。

四(被告の因果関係の主張について)

<証拠>によれば、肩鎖関節脱臼については、他の脱臼に比べて、整復自体は容易であつても、整復位の保持が困難であるのが特徴であること(他の脱臼の整復は安静を目的とする固定であるのに対し、この脱臼の整復は、上肢が下方に沈むのに抗して強靱な力でその整復位を保持しなければならない。)、その一方、肩鎖関節脱臼は放置しておいても機能的に殆んど支障がないことが多く、しかも急性期を過ぎればその症状はそれほど強いものでないこと、整復の予後は固定が極めて困難なために変形を残して治癒する場合が多く、それでも機能的には殆んど障害を残さず(転位を残しても機能障害は起こらない。)、負傷時の疼痛、上肢の挙上制限等も漸次解消することから、美容的予後は不良だが、機能的予後は良好であることなどが医学上説かれていることが認められる。

しかし、原告の右肩部に運動時疼痛と運動障害(重いものを持つたり、長時間事務的な筆記をすることができない。)の症状が固定し、残存していることは前示二項(一)の事実と原告本人尋問の結果によつて明らかであるから、他に特段の事情がない以上、原告の右のような機能障害、即ち後遺障害が、右肩鎖関節脱臼を看過し、それに対する医療措置を講じなかつた被告の前示医療上の過誤に原因していると判断されるのは当然というべきである。そして、右所説のように肩鎖関節脱臼の整復による固定が難しいものであるとか、再脱臼の可能性が多く、或はまた放置しておいても機能障害は漸次解消するものであるというのは、治療の効能、成果或は不治療の場合の事後的結果の問題であつて、因果関係とは何ら関係がない。

五(損害)

(一)  <証拠>によれば、原告は、昭和四八年四月二日の前記交通事故当時、高等学校を卒業して間もない満一八才の男子(昭和二九年五月二八日生)であつて、愛知県知多市新舞子字新曽五番地の吉川団地に父母とともに居住し、その前日(四月一日)に東海市の日産プリンス株式会社自動車部品課に就職したばかりの者であり、右事故による受傷で翌二日小嶋病院に入院し、前示のように約一か月余りの入院、通院により治療を受けていたが、右会社での職務は自動車部品関係の重量物を持つたり、沢山の伝票を書くという仕事であつて、右肩に不具合のあつた原告はその負担に絶え難いことから間もなく退社し、その後アルバイトなどをして過ごしたのち、昭和五〇年四月頃知人のいる長崎市内に就職のため転居し、更に昭和五二年五月頃大阪府吹田市内のスーパーダイエーに勤務し、翌昭和五三年三月頃右ダイエーを退職して再び長崎市に帰り、自動車運転の資格も持ちながら損害保険関係の仕事に従事しているのであるが、右肩鎖関節脱臼のため前示後遺障害が残つて労働上、身体上の不自由、制約があるほか、外見上も右肩部に変位(左肩に比べて突き出ている形)が残つたままとなつて、精神的苦痛もある身上にあることが認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。

(二)(1)  逸失利益

<証拠>によると、原告は、後遺障害症状固定当時(昭和五二年一〇月一〇日)、二三才の男子であつて、スーパーダイエーから月額平均一九万四、九一五円(同年七、八、九月分各給与総額の平均値金一五万五、二八五円に、同年一二月の賞与金二三万七、七八〇円の六分の一を加えた金額)の収入を得ていた事実を認めることができ、右男子の平均可働年令が六七才にして四四年間就労可能であることも経験則上明らかである。そして、政府の自動車損害賠償保障事業てん補基準による後遺障害一二級該当者の労働能力喪失率は一四パーセントとされているが、右は一応の基準であり、前記(一)項認定の事情、特に原告はその職務を事務的、サービス的業務である損害保険関係の仕事に替えて稼働し、そのために必要な自動車の運転も可能であること、前記四項にあるように、医学的には、肩鎖関節脱臼を放置しても機能上の障害は解消する可能性もあることなどを参酌すると、原告の労働能力喪失率は一〇パーセントと認めるのが相当である。

そこで以上の数値を前提にして新ホフマン係数表によつて原告の逸失利益を算出すると、

194,915×12×0.10×22923=5,361,643.8

即ち、金五三六万一、六四三円(円以下切捨)となる。

(2)  慰藉料

原告の交通事故による受傷から現在までの後遣症を含めたその身体的、精神的状況は前記(一)認定のとおりであり、その第一の原因が友人佐藤由春の自動二輪車の無謀運転にあることも前認定の事故状況から明らかである。

そして、更に、原告本人尋問によれば、原告は、小嶋病院に入院中、いまだ十分治つてなく、医師からもう少し待つように言われたにもかかわらず、加害者である右友人の入院費等の負担に気兼ねして早めに退院したものであることが認められ、加えて、前示のように肩鎖関節脱臼の整復位固定は比較的難しくて、変形のまま固定することが少なくないなどのこの種疾患の医療上の特徴等を彼此勘案すると、被告に対して求めうべき慰藉料は金八〇万円とするのが相当である。

(3)  弁護士費用

原告がすでに給付を受けた自動車損害賠償責任保険金五二万円を右(1)、(2)の合計金六一六万一、六四三円から差引くと、その残額は金五六四万一、六四三円となり、認容すべき右損害額のほか、本件訴訟の難易等をも勘案して、原告ら訴訟代理人の報酬はそのほぼ一割強に当る金六〇万円とするのが相当である。

六(結論)

以上の理由により、原告は被告に対し前記五項(二)の(1)、(2)、(3)の合計金六二四万一、六四三円の損害賠償金及びそのうち右(1)、(2)の合計金五六四万一、六四三円に対する前記症状固定の昭和五二年一〇月一〇日から右支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める権利があり、原告の本訴請求は右限度において理由があつて、その余は失当である。<以下、省略>

(深田源次)

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